【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1 【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048095.jpg)
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夜散歩のススメ「安国堂の玄関の灯り」
— 上野タケシ (@ueno_takeshi) 2018年1月30日
寺の境内だが、みんな普通に通勤通学で通っている、南池袋の法明寺。そこにある安国堂の建物玄関、板戸が閉まっているが夜はここに灯りがあたり、とても美しい奥の面に。樹木の枝っぷりも立派だ。(東京都豊島区南池袋3)#夜散歩のススメ #夜散歩 pic.twitter.com/OBdRkJiS8m
そろそろ参拝の人の数が減ったところで、近所のお寺、神社を初詣で巡る。
— yagian (@yagian) 2018年1月3日
大鳥神社、雑司が谷鬼子母神に参拝して、写真の法明寺へ。池袋とは思えない静かな佇まいのお寺。#新年快乐… https://t.co/Uh118CRlOZ
雑司が谷は社寺の街
池袋から歩いていける法明寺
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の法名寺の参道入り口](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048096.jpg)
池袋駅を背に明治通りを右へ進み道なりに進むと左手に、『大鳥神社参道』があります。
今回は、時間の関係で大鳥神社を訪れることはできなかったのだけど、大鳥神社は法明寺・鬼子母神がとても近い距離にあるので大鳥神社参道が目印だよ。
参道はここだけではないけど、池袋駅から向かう時には『大鳥神社参道』が目印。
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の法名寺の入口](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048097.jpg)
大鳥神社参道をそのまま進んで行くと左手に法明寺を発見できるよ。お寺って基本的に鳥居がないからサッパリしてるよね、参道を進み簡単に見つけられた法明寺だけど、たぶん素通りしていてもおかしくないくらいひっそりしていたよ。だからと言って、ギラギラしているお寺もなんか違う気がするけど。
観静院(弁財天)
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の観静院(弁財天)1](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048099.jpg)
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の観静院(弁財天)2](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048100.jpg)
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の観静院(弁財天)の女神](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048101.jpg)
法明寺へ入り少し進むと右側に観静院(弁財天)があったよ。学問や芸術の女神様を祀る。財宝を与える神としても信仰があるそうで。学問や芸術に加えて、”財”の神様でもあるとの説明書きを見て、いつもの10倍くらい頭を下げた気がする。
観静院は江戸時代の元禄初期に法明寺塔頭として創立し、豊臣秀吉の家臣で、武功を挙げ、肥後北半国の大名となった加藤清正が供奉したご神体がある天神堂を吸収して、今に至るそう。
加藤清正という武将が、なぜこの場所のご神体を供奉したのかはネットで調べてもわからなかった。加藤清正という人物は、九州(熊本)、関西方面の戦地にいたりだとか、そんな歴史を少し見たけれども、なぜここ雑司が谷の地のご神体なのかは謎。ご神体が元々は加藤清正がいる地域にあったものなら納得できるが、観静院の創立時期は加藤清正が亡くなった随分と後のようなので、これまたよく理解できず・・・。どなたに尋ねたらいいかが分からないので、この件は今度調べることにするか!
とにかく、加藤清正がご神体を供奉したのだそう。
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の観静院(弁財天)のスタンプ](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048103.jpg)
七福神を巡るスタンプラリーもやってるね。
セルフスタンプのスタイル。
法明寺
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の法名寺の山門](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048095.jpg)
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の法名寺の山門横](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048102.jpg)
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の法名寺の蕣塚](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048104.jpg)
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の法名寺の幽顯之塔](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048105.jpg)
順番に、法明寺の山門、山門横の仏教、蕣塚(あさがおつか)、幽顯之塔(ゆうけんのとう)。
蕣塚は、酒井泡一(ほういつ)の朝顔の絵と戸張喜惣次(俳号は富久)の句「蕣や くりから龍の やさすがた 富久」と彫られているそうで。酒井泡一は江戸後期の画家だったそう。戸張喜惣次は「雑司ヶ谷そば」の主人だったのだとか。彫ったのは窪世祥という名工・字彫りの石匠だったそう。すごい方たちが集結した石碑みたい。
幽顯之塔は、井上有一による書を石碑にしたものだそう。見た感じでわかると思うけど、かなり新しくて1991年に造られたもの。1991年…どのような意図で置いたのかを知りたい〜!
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の法名寺の本堂](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048106.jpg)
法明寺の本堂。法名寺は700年以上の歴史があって、ホームページの中の解説では、法明寺を開山した日源上人は元々は天台宗を伝えていたが、あるとき駿河で出会った日蓮聖人と問答し日蓮聖人の説く法理に帰伏し弟子となり、威光山法明寺で布教を始められたとあったよ。法明寺は武蔵国(現在の埼玉県、東京都、神奈川県辺りを指す)では日蓮宗の布教活動をいちばん初めに行った寺としても有名なんだって。
由来と歴史の引用だよ。
当山は嵯峨天皇の代の弘仁元年(西暦810年)、真言宗の旧跡で威光寺として開創されました。
後の正和元年(1312年)、宗祖日蓮聖人のお弟子で中老僧の一人、日源上人が日蓮宗に改宗、威光山法明寺と寺号を改めました。
近年に至り関東大震災で本堂が倒壊、46世一妙院日龍上人が昭和7年に再興しています。しかし昭和20年戦災により全山焼失、47世一味院日厚上人が昭和34年に本堂を再建、さらに昭和37年客殿庫裡を竣工しました。
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の法名寺の梵鐘](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048107.jpg)
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の法名寺の墓石](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048108.jpg)
順番に、梵鐘と墓石(墓石と言うのかは不明)。
梵鐘は、曲尺、枡、天秤、算盤等の江戸時代の庶民生活を表す用具が描かれていて貴重なのだそう。そのために、1944年に文部省から重要美術品の認定を受け戦時下の金属類回収を免れたんだって(戦時中、金属資源不足により金属類回収を目的に制定されたもの)。
本堂左奥にあった墓石は、付近立入禁止のため覗き込める位置になく、なんと記されているかが不明のまま。調べてみたけど、遠忌(おんき)塔と書いてあるものも見つけたけどよく分からず・・・。宿題かな〜。
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の法名寺の石像](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048109.jpg)
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の法名寺のすすきみみずくの石像](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048110.jpg)
宗祖日蓮聖人の像なのか、日源上人なのか、彫られている字も読むことができず。裏の字も読むことができなかったよ。
みみずくの石像は、雑司が谷みみずく公園にも同じものがあるよ。
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の法名寺の安国堂](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048111.jpg)
![【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート1の法名寺の安国堂にいた猫](https://toshimasanpo.tokyo/wp-content/uploads/2018/02/S__73048112.jpg)
安国堂は、日蓮聖人を祀っているものだそうで、普段は閉じられてるけど、毎年10月16日〜18日に営まれる御会式大祭(お会式と言われているそう)の際には開かれるそう。このお会式は、池袋駅から鬼子母神駅まで万灯の大行列が練り歩き、太鼓が響き渡り、参道は露店で賑わうそう。ぜひ見に行きたいね!
法明寺から鬼子母神へ移動するよ。
今回は法名寺までを紹介したよ。次は鬼子母神へ移動して紹介するよ。
まずはパート1が終わり、次はパート2へ!
【雑司が谷駅】豊島区のノスタルジックな街『雑司が谷』法明寺・鬼子母神を訪ねる:パート2はこちら
2018.03.01
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